はじめに
双極性障害の「双極」のうちの一つである躁状態では、会社をやめてしまう、無計画に不動産などの高額なローンを組んでしまうなど、衝動的な消費行動などの問題行動がみられとされる。いっぽう発達障害の一つであるADHD(注意欠如・多動性障害)にも双極性障害と似たような症状が見られるという。
今回の記事では、発達障害と双極性障害の両方の当事者である僕が、これまでの経験や現在の生活で、実際にどのように感じているのかについて、言語化してまとめてみたいと思う。
なお僕は、あくまでもこれらの問題の当事者であり、医師や心理士などの専門家ではないから、その点は留意したうえで今回の記事を読んでいただければ幸いだ。
まずはじめに、これら2つの問題について簡単に説明をしておきたいと思う。
双極性障害とは
双極性障害とは古くから「躁うつ病」と呼ばれてきた精神障害だ。うつ病に似た「うつ状態」と、気分がたかぶる「躁状態」を交互に繰り返すという、やっかいな精神障害だ。海外の臨床の現場におけるこれら障害の扱われ方について、僕は詳しくはないが、日本では統合失調症と並ぶ二大精神障害として認識されているというのが僕の認識だ。
じっさい、これら2つの精神疾患の診断を下す際には、診断することが患者の人生や生活に与える影響の大きさをかんがみて、発達障害やうつ病などの診断よりもさらに慎重に診断を下すべきと考える精神科医は少なくないようだ。
今回の記事のテーマはこの双極性障害の躁状態になる。
ADHDとは
さて、もう一方の精神の問題である発達障害のひとつであるADHDだが、こちらにおいても衝動的な行動がみられたり、あるいは仕事や日常生活においてうっかりミスが目立つという特徴を持っている。
当事者がどう感じているか
僕の診断歴を簡単にまとめると以下のようになる。
- 発達障害:生まれつき(だが気付かずに成長する)
- 双極性障害:25歳ころ発症(診断を受けたわけではなくあくまで自身による振り返り)
- 38歳まで双極性障害の自覚なく過ごすが、38歳で双極性障害の診断を受け治療開始
- 47歳で発達障害の診断を受ける
38歳で双極性障害だと診断されたとき、実際のところ双極性障害については「もしかしたら」という意識はあった。しかし発達障害についてはまったく自覚はしていなかった。
双極性障害については自分が病識を得てから長いこともあり「自分の日々の変化を把握するための物差し」とでもいうべき感触がおぼろげながら得られていた。だが発達障害の診断を受けたことで、新たに発達障害という視座から「自分の日々の変化を把握するための物差し」をアップデートすることを強いられたというわけだ。
双極性障害にみられてADHDにはみられないもの
精神疾患の診断に使われるDSM-Vを読んでみると、発達障害には見られず双極性障害だけに見られる特徴が見えてくる。
寝なくても平気
これはとてもわかりやすいだろう。僕自身も何度も経験している。2時間程度しか睡眠をとらない日々が続いても全く疲労を感じない。鏡を見るとさぞかしギラギラした目つきをしているのかと思いきやそういう兆候は僕の場合にはなかった。
発達障害だけならこのような状態になることは考えにくい。発達障害人はとにかく疲れやすく、寝ないで仕事を続けるなど想像できないのではないだろうか。
したがって「寝ないでも平気!どんどん力が湧いてくる!毎日が充実している!」という人は双極性障害の可能性が濃厚になるのではないだろうか。
自尊心の肥大
プライドが以上に肥大する。これもまた発達障害だけでは説明がつかないようだ。自尊心が肥大し、僕の例を出せば平社員のサラリーマンなのに社長と対等の社会的地位を得たかのようになったような気分になってしまったりする。信じられないと思う人もいるかもしれないが、社長から偉そうに話しかけられた際には本当に「あいつはなんて無礼なやつだ!」と怒りをあらわにしてしまったりする。
気分というのがやっかいで、僕は双極性障害とは「気分が理(ことわり)を制する障害」だと人には説明するようにしているのだが、気分は個人の内面の自由さの表彰であり、もちろん形がない、目には見えない、それがこの障害をひときわややこしいものにしている。
気分高揚(気持ちがいい、幸せだ!)
言葉にならない高揚感・幸福感もまた発達障害だけでは説明がつかないだろう。僕もしばしば感じるものだ。季節の変わり目や長いうつの期間が終わるときが多い。とにかく、幸せなのだ。いつも見ている近所の風景も、この世のものとは思えないほど美しく、神々しくさえ見える。
自己肥大感
先に説明した自尊心の肥大に似ているが、僕の中では少し違うものとして位置づけている。誇大妄想といったほうがいいのかもしれない。
具体的に言うと、たとえばネットニュースで大成功しているIT企業のCEOの話題を目にしたとする、そうするとほどなく自分がそのCEOと同じ程度に成功している人物であるかのような気分になる。もちろんそんなことは現実にはありえない。その「ありえない」は「理(ことわり)」であり、理が気分を制しているのだが、ほどなくして理だけが消えてしまい、あとには以上に肥大した気分だけが残るということになる。
思い当たるふしがあれば早めに受診を
今回の記事で紹介したような現象に心あたりがある場合は、早めに精神科を受信することをおすすめしたい。僕は治療の開始が遅かったので、はっきり行って経過はよくない。それでも治療を受け始める前に比べればずいぶんマシだといえる。