はじめに
酒にかかわる僕のアイデンティティは、基本的には「酒を飲まない人」だ。酒の席には可能な限り参加しないようにしているし、参加するにしても一滴たりとも飲むことはない。
では以前はどうだったのかというと、普通に酒を飲んでいたし、飲みすぎることも日常茶飯事だった。
今回の記事は、僕がどうやって酒を止めたか、あるいは止め続けていられるのかについてまとめたいと思う。
なお、今回の記事は完全に「酒をやめたい人」向けの内容となっている。酒とうまく付き合っていきたい人や、酒との関わりに何らの困難さも感じていない人には響かない内容となっているのでご留意いただきたい。
さらに、僕は、酒のある生活を楽しめている人に対して強硬に「酒やめたほうがいいぞ」などと断酒を勧めるようなタイプの人間ではないし、酒とうまく付き合えている人の人生を否定する意図は毛頭ない。もちろん酒をやめられた自分がそうできない人よりも優れているなど考えもしない。
今回の記事を書く動機は、あくまでも何らかの理由で酒をやめなければならない人に向けて、自分の知識と経験をシェアしたいと考えたというだけのことだ。
酒をやめるためのマインドセット
「酒は薬物である」という自覚を持つ
まずはじめに、酒を止めるにあたって理解しなければならないことは、アルコールは麻薬やタバコなどと同じ薬物である」という事実だ。この事実はなかなか受け入れられない人が多い。もちろん日本では酒は違法な嗜好品ではなく、そこらじゅうでかんたんに買うことができる。
そんな酒を麻薬などの違法薬物と同じ文脈で語ることに不快感を感じるという人の気持ちは、もちろん僕も理解できる。だがしかしアルコールは紛れもない薬物の一種であり、サルを使った動物実験によれば、覚せい剤やLSD、MDMAなどといった違法薬物よりもアルコールの依存度は高いという研究結果も存在する。
酒を止めるための工夫
酒を勧められたらどうするのか
基本的に主席は避けたほうがいいと僕は思うが、そうはいかない場合もあるだろう。その場合、僕は「酒は止めました」とストレートに言うことにしている。いろいろ試してみたが、この率直な言い方が僕にはいちばん合っている。
酒に酔うとできなくなる活動を趣味や仕事にする
酒に用途できなくなる、あるいは著しく効率が低下したり、その趣味によって得られる喜びが減る、そんな趣味を持つことで酒に対してネガティブな、あるいは不快なイメージを結びつけることができる。
例えば僕であれば小説を書いたり、脚本を書いたり、そういうことが該当する。別にお金につながらなくてもいい。ゲームでもいいだろう。
個人的には筋トレを趣味にすることをオススメしたい
個人的には筋トレを強くオススメしたい。筋トレはまあ、酔うとほぼすべての人が本来の能力を発揮できないというか、あらかじめ決めておいたトレーニングメニューをこなすこと自体が難しいからだ。つまり「酒を飲んで酔ってしまったら筋トレという趣味はできない」という状況を作りやすいといえる。
酒を買ったら金額を記録する
酒を買ったら必ず金額を記録するのも僕には効果的だった。なんとなく「これくらい使ってるはずだ」ではなく厳密に金額を可視化することでたとえば「1ヶ月にこんなに酒に使ってるのか」という気付きが得られ、うまくいけば「酒をやめれば他のもっと有意義なことにお金を使えるなあ」などという動機づけも生まれる。さらに、酒をやめればクソ面倒くさい「酒の家計簿」の作業をしなくてもよくなるのか…という別のモチベーションも得られるという一挙両得の方法だ。
酒にまつわるネガティブな情報を収集してメモしておく
酒を飲むことで生じるネガティブな出来事について除法を収集しておき、すぐに見られるような形でそばにおいておくことも良い方法だ。これはよく目にする「アルコールは〇〇がんになる確率を高める」といった情報でもいいし、酔った飢えで人生を狂わせた人のエピソードや、あるいは自分自身の酒の席での失敗などをメモするのでもいいだろう。
実際、今の社会は酒で人生を狂わせた人のニュースには事欠くことはない。
他には、僕は以下のような情報をすぐに見られるようにしている。
ガス室や焼却炉で働かされていた例の被収容者グループでは、事情は違っていた。彼らは、いつかある日ほかの被収容者グループと交代させられて、今度は自分たちが犠牲者の道をたどるということを、紛れもない事実として知っていた。彼らは、犠牲者とは異なり、処刑する側の手下になることを強いられていたのだ。このグループには、親衛隊からアルコールが好きなだけ与えられていた。
ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」第29刷 16ページ
これはヴィクトール・E・フランクルによる、第2次世界大戦中にナチス・ドイツが行ったホロコーストの記録だが、なぜこの記述が僕の琴線に触れるのかというと、僕が他人からされて一番嫌なこと、怒りを覚えること、それは個性を否定されることだからだ。
個人の自由や才能、能力が否定され十把一絡げに扱われること、それを僕は受け入れることができない。強制収容所でアルコールが当地の道具に使われていたこと、そしてもともとは個性豊かな存在出会ったであろう人々が殺戮を担うマシーンに変えられ、その苦悩を鈍麻させるためにアルコールが使われていたという事実は、激しく墨の心を揺さぶり、結果として酒を遠ざけるのだ。
このように、自分がどう扱われると怒りや憤り、悲しみなどの不快な感情が想起されるかは人によって異なるだろうが、そうした負の感情を想起させられる情報をうまく酒と結びつけることは非常に効果的だと感じる。
おわりに
今回の記事では、僕がどのようにして酒をやめたか(断酒したか)についてまとめてみた。繰り返しになるが、人生に酒をうまく取り入れて楽しく暮らしている人は今後もそうすればいいと僕は思う。ただ、何らかの理由で酒をやめなければならない人にとってこの記事から得るものがあれば幸いだ。