プロフィールのページにも書いてあるが、僕は発達障害人だ。僕の場合は発達障害のASDとADHDが併存しているタイプで、そのうちADHDのほうが少し強めだと自分では感じている。
ネットで調べてみると、発達障害の特性を持つ人のうち、ASDとADHDが併存している人の割合は過半数を超えるそうで、僕もそのグループに入るということのようだ。
今回の記事では、ASDとADHDの両方の特性を持つ僕が、普段の生活でどのようなことを感じて生きているのかを書いてみたいと思う。
まずは、ASDとADHDがそれぞれどのような特徴があるのかについて、一般的に言われている情報も交えて紹介したいと思う。
なお発達障害人と擬態能力については以下の記事を参照いただきたい。
ASD気質とは
ASDの特徴といえば、自閉的で他者に関心がない、一度決めたルーティーンを堅持したがる、自分の興味がある分野以外には関心を示さずその分野も幅が狭い、緊張が強い、といったイメージがある。
僕もちろんこの特性に大きく当てはまっている。趣味の幅は狭く、というか趣味らしい趣味といったものが昔からない。加えて他人にも関心があまりない。
我を忘れて周りのノイズも一切気にせず一つのことに集中することを「過集中」というが、過集中のゾーンにうまくはまったときは気持ちがいいものだ(若い頃に比べて飲まない食べない休まないといった無茶はしなくなった)。
ADHD気質とは
いっぽうADHD気質は、飽きっぽく衝動的に行動することを好み、ルーティーンに縛られるのは苦手とされる。ADHDは「注意欠陥多動性障害」なので忘れ物や遅刻も多い。僕はこの特性にも当てはまっている、というか、これは医師にも言われたし自分でも感じることなのだけども、僕の場合はADHD気質の方がたぶん強く出ている。
ASDとADHDが併存するとどうなるのか
さてここからが今回の記事の本題なのだが、ASDとADHDが併存しているとどうなるのか?
僕が調べた限りの情報と、僕がこれまで生きてきた実感としていえることは以下の2つだ。
- 2つの特性が反発してよりしんどくなる
- 2つの特性が打ち消しあって見えづらくなる
集中して「話しかけるなオーラ」出しがちなASD
最初の方はわかりやすいだろう。たとえば、ASDの僕はすべてをルーティーン通りに行いたいと思うし、ひとたび何かに没頭する集中タイムが始まったら、それを何者にも邪魔されずに続けたいと思うし、集中タイムが中断されることに強いストレスを感じる。朝から集中して気がついたらもう定時、みたいなのが最高だ。
ところが、こうしたASD気質を、もう一方のADHD気質の僕は面白く感じないのだ。あらかじめ決められたとおりに何かを続けるなんて息が詰まり、衝動の赴くままに行動したいと感じる(職責に応じた成果を出さなければいけないことは承知しているが)
気分のままに飛び回りたいADHD
ADHDの僕はとても飽きっぽいので、30分も同じことを続けていたら、何か別のことをやりたくなってムズムズしてくる。会社勤めなら自分のデスクに居続けることで、なんだか閉じ込められたような、苦しい気分になってきて、少し離れたシマにいる同僚でも訪ねて、しょうもない無駄話でもしたくなってくるのだ。
そしてASDにまた話を戻すが、ASDの僕は世間話は好まない。なぜそんなものが必要なのか理解できない。そんな時間があるなら作業したい、と思う。
いうまでもなく、一人の人間の中にこのような真逆ともいえる2つの特性があって常にぶつかり合っていると、疲れる。まあ真逆というのはちょっと大げさで、実際に僕の中ではもう少し上手に二者が折り合いをつけ合って生活している。
ルーティーンを堅持しつつ、時には多少の衝動に基づく逸脱が許容される仕事、というのが僕に会っている仕事ということになる。僕の場合はWEBエンジニアが一番長く続いた仕事だ。エンジニアといってもコテコテのシステム開発業界で厳しく成果を管理されて仕事するよりも、ある程度規模の大きな会社でまったりと働ける社内SEとして働いたのが、僕のこれまでの人生で一番長く続いた仕事だった。
ASDとADHDが併存すると発達障害らしくなくなる
そして上述した2つめの特徴としては、ASDとADHDが併存すると、お互いに打ち消し合って発達障害だということが見えにくくなる、ということがあげられる。本人も自覚を持ちづらくなるし、周囲の人も「あの人もしかして発達障害では」などと気づいてもらいにくくなる。
ASDとADHDが併存しているとそれはそれでしんどい、ということはすでに述べたが、見えにくいからよいわけではなく、発達障害という自覚を持てないまま、ずっと苦しむことになりかねない。僕が実際にそうだった。