プロフィールのページにも書いてあるが、僕は発達障害だ。
おまけに双極性障害という、数々の文豪や名優を自死に至らしめた由緒正しい精神障害である双極性障害という、別のハンディキャップも抱えている。
僕が発達障害だと診断されたのは47歳のときだった。
それがとてもショックだった、などということは特になかった。
というのも、すでに双極性障害によって精神ハンディキャッパーとしてのアイデンティティが自分の中で確立されていたので、いまさらそこに新たな要素が追加されたとて「はあ、そうですか」とある意味悠長に構えていられた面があるからだ。
でもやはり、こういう出来事はアイデンティティを揺るがす。
2015年頃だっただろうか、NHKがひんぱんに発達障害を扱った番組を放送するようになった。
当時、強度のうつ状態で不調のどん底に沈み、ただ横になってテレビを見るだけの毎日だった。つまり僕はしょっちゅう発達障害に関係する情報を目にしていたのだけど、まさか自分がその当事者だとはまったく気がつかなかったのだ。
それどころか発達障害を取り上げた番組をみるにつけ「そんなことはもういいから双極性障害のことも少しは取り上げてくれよ」などと思っていた。
つまり僕にとって発達障害は他人事でしかなかったのだが、なんと自分がその当事者であったことが、その後何年も経ってから判明したというわけだ。
発達障害と診断されたことで何が変わったか?
発達障害の診断を受けてから、自分の中で大きく変わったことは両親に対する認識だった。
父について
幼い頃、僕は母から虐待を受けていた。父はそんな母を止めるでもなく、ただただ自分の世界に没入するような人だった。僕は父と一度たりとも感情や共感に基づく交流ができた記憶がない。中に何があるかわからない暗黒、さながらブラックホールのような人だと思っていた。
僕は発達障害の診断を受けるまで、両親のことをいわゆる「毒親」だと思って生きてきた。子を虐待する母とネグレクトする父。そんな両親と縁を切り、両親を憎むことをエネルギーに変えて生きてきたのだ。
でも自分が発達障害だと診断されたことで、両親に関して別の視座が得られた。
父に関しては医師の診断によるものではないから、以下はあくまで僕の個人的な考えにすぎないのだけれども、父は間違いなく発達障害のASDだったのだろうと思う。理解不能な父の言動も、発達障害の自分という視座から観察することでわかりすぎるほどにわかった。
父には、妻よりも子よりも大切な、守りたい自分の世界があったのだろう。
世間の人たちはそのことを「親の自覚がない」「自分のことよりも子を優先するのが親の姿勢だろうが!」などと責めるのかもしれない。だが僕は責められない。
今では、わかりすぎるからだ。
もはやブラックホールではない。
僕がもし結婚していたなら、父と同じことをしただろう。
母について
僕のことを虐待した母を許す気はないし、そんなことをする義務はないと思っている。
でも父のことと同じように、自身の発達障害という視座から母のことを眺めたとき、別の解釈が見つかったような気がしている。
それは「カサンドラ症候群」と呼ばれている。発達障害(主にASD)のパートナーを持った定型発達者(発達障害ではない人)が、パートナーと情緒的な関係を築けないことから生じる身体的・精神的な症状のことだ。
母が何らの心理的・精神的な問題を抱えていない「健康・健全な」個人だったのかについて、私は判断できないが、おそらく母はカサンドラ症候群だったのではないかと思っている。
この視座から見えたのは「毒親」としての母ではない。そこにいたのは夫とも息子とも情緒を交わすことができず、どうしていいかわからず不安に呑み込まれて立ち尽くす、一人の女性の姿だった。
繰り返しになるが、この先も僕は母のことを許すことはない。それに、もし転生というものが本当にあるとしても、母の子として生まれてくるのはもうゴメンだ。
ただ、母のことを気の毒に思う。それだけだ。
おわりに
父も母も、この世を去った。もう話をすることも怒りをぶつけることもできない。
どうしたら虐待などの問題をなくせるのだろう。
どうしたらこのような不幸な出来事をなくせるのだろう。
用意に答えられる問いかけではない。でも僕は、発達障害の当事者として今後も考えていきたいと思う。
いずれにせよ、僕は生きていかなければならない。
残りの人生を、楽しくたくましく生きていくのだ。